12月31日放送の【NHKスペシャル】で
今年10月に亡くなった天才作曲家・筒美
京平さんが特集されました♪
作曲家・筒美京平。名曲の数々はいかにして生まれたのか。貴重な本人の証言録音や盟友の作詞家・松本隆ら関係者の独占取材でその秘密に迫る。『NHKスペシャル「筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔」』の再放送が決定。NHK総合で12月31日放送 https://t.co/Tp4FyNKc7b
— amass (@amass_jp) December 24, 2020
裏方に徹する天才作曲家について調べると、
息子さんや幻のゲーム音楽などが出てきて
気になり調べてみました♪
筒美京平さんのプロフィール
名前 : 筒美 京平(つつみ きょうへい)
本名 : 渡辺 栄吉(わたなべ えいきち)
生没年 : 1940年5月28日- 2020年10月7日(享年80歳)
出身地 : 東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)
学歴 : 青山学院大学経済学部卒業
職業 : 作曲家、編曲家
所属 : 筒美音楽事務所代表(神奈川県逗子市所在)
略歴 : 幼稚園児からピアノを始める。青山学院初等部・
青山学院中等部・高等部を経て青山学院大学経済学部卒業。
大学在学時はジャズに打ち込み、大野雄二とも面識があった。
大学卒業後の1963年に日本グラモフォン(後のユニバーサル
ミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する
傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、
すぎやまこういちに師事し作編曲を学ぶ。
1966年、「黄色いレモン」(藤浩一ほか、競作)で
作曲家デビュー。1967年から専業作家となる。
ペンネームは鼓(つづみ)が平らに響くという
意味から「鼓響平」を考えていたが、文字を
左右対称にするために「筒美京平」とした。
1968年12月に発売されたいしだあゆみの
「ブルー・ライト・ヨコハマ」の自身作曲初の
オリコンセラー以降、数々のヒット曲を世に
送り出す。
2020年10月7日、誤嚥性肺炎のため死去。
引用:Wikipedia
数々の名曲を送り出している筒美さんですが、
やはり最初のヒットのブルーライトヨコハマは
印象的ですね♪
更には筒美さんといえばこれ♪
サザエさんは1969年から歌われていますが、
いまだにサザエさんといえばこの曲ですので
それだけの存在感を残すのは凄いことですね♪
筒美京平さんの息子ゼンタさんはどんな人?
筒美京平さんの歌にビューティフルヨコハマ
という曲があります♪
この歌詞の中に、『踊り上手なハルオに
ゼンタ~♪』(1:31~)とありますが、
これは、作詞した橋本淳さんの息子さんの
ハルオ君で、作曲をした筒美京平さんの
息子さんのゼンタ君のことを歌詞にした
そうです♪
この曲は1970年の発表なのでそれ以前に、
ゼンタ君は生まれており、仮に踊りを踊る
年齢が5歳だとしたら、現在ゲンタさんは
55歳ほどで、どんな方か気になりますが、
家庭のことを多く語らない筒美さんなので、
写真などは見つかりませんでした…
幻のゲーム音楽とは?
数多くのJ-POPや歌謡曲、アニソンとしての
名曲の数々は周知の通りですが、実はゲーム
音楽もごくわずかに手掛けており、その中でも
名曲といわれているのがコチラ♪
1994年にエニックス(現スクウェア・
エニックス)から発売されたスーパー
ファミコン用ボードゲーム「いただき
ストリート2~ネオンサインはバラ色に~」の
中の「サテンの向こう側」という曲です♪
スーファミゲームで使用されるには
贅沢過ぎるほど、オシャレでポップで、
どこか寂しさも漂わせる名曲といわれています♪
どうやらこのお仕事のきっかけはこの曲を
手掛けた方…
そうです、筒美さんの師匠・すぎやま
こういちさんがドラゴンクエストに携わった
事が縁で行った仕事だったそうです♪
まとめ
作曲家として裏方に徹することで、自身の
情報を前に出さず、メディアに出ることも
極端に少ない天才作曲家・筒美京平さんは、
息子さんの名前がゲンタということ以外は
分かりませんでした…
そして幻のゲーム音楽、『サテンの向こう
側へ』は、他の名曲と共に、後世に残って
いくことでしょう♪
最後までご覧頂き、ありがとうございました!
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