【開運!なんでも鑑定団】日本のゴッホと呼ばれた放浪の鬼才・長谷川利行の破天荒な人生とは!?




2月25日放送のテレビ東京系【開運!なんでも鑑定団】に

放浪の鬼才と呼ばれた長谷川利行の絵と思われる作品が

出品されます♪

日本のゴッホと呼ばれた方らしく、凄い破天荒な人生が

気になり、調べてみました♪

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プロフィール・略歴

名前   : 長谷川 利行(はせかわ としゆき)

生年月日 : 1891年7月9日(明治24年)

死没   : 1940年10月12日昭和15年)(享年49歳)

出身   : 京都府

職業   : 洋画家、歌人

活動時期 : 1920年代~1940年

愛称   : りこう

略歴   : 1891年に京都府京都市山科区で警察官であった父と母の

五人兄弟の三男として生まれる。家族構成や出生日諸説あり。

和歌山県有田郡広村(現広川町)の私立耐久中学校(現県立耐久高校)に

入学し文学を志し同人誌などを発行するも、1909年に中学校を中退する。

いつ頃に絵を始めたか不明であるが、独学で画を学ぶ。自身の「アトリエ」を

持たず、「思い立ったら絵を描く」スタンスを生涯続けた。

関東大震災に被災し、また震災の被害をうけた東京をうたった歌誌「火岸」を

刊行後、帰郷し、一時京都で活動する。

1926年再上京し、日暮里の日蓮宗中山派修練所の離れに暮らす。

紹介で高橋新吉と出会い、前田寛治や里見勝蔵の知遇を得、その後も

様々な人物と交流し精力的に活動。

1926年には佐伯祐三らの「一九三〇年協会」展で奨励賞を受けるなど、

徐々に評価を高めていった

しかし、その荒れた生活と知人・友人とのトラブルでその後、思うような

製作を行えていない時期が増えていた。

天城俊彦が新宿に開いた天城画廊で頻繁に個展を開いていたが、安酒の

飲み過ぎで慢性化していた胃潰瘍が悪化すると徐々に身体が弱り、

また1936年の晩秋頃に泥酔してタクシーにはねられ重傷を負うなど、

1939年以降はほとんど作品を残していない。

1940年5月、三河島の路上で行き倒れになり養育院に収容されるも、

胃癌の治療を拒否し、同年10月12日死去。49歳没。この際、

手元にあったスケッチブックなどの所持品が全て養育院の規則により

焼却された。

引用 : Wikipedia

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破天荒な人生とは??

今回の番組でも

昭和初期、破天荒な人生を送り「放浪の鬼才」と呼ばれた画家

と紹介されている長谷川利行だが、実際どのように破天荒

だったのかを調べてみると以下のようなものが分かりました!

知名度が上がりだした1926年以前からも長谷川の生活は、

浅草近辺の貧民街で一日中絵を描いているか、絵を換金して

酒を飲んでいるかだったという。ついには、友人たちに絵を

書いて送りつけたり著名人のところに押しかけて絵を描き

金をせびったりするなどしていた。

引用 : Wikipedia

な、なんていうはた迷惑な人なんでしょう(笑)

このため、知人たちは後世まで彼については堅く口を

閉ざしており経歴に不明な点が多い原因となっている。

引用 : Wikipedia

知人たちからも語ることすらされない破天荒っぷりは

凄いですね(笑)

更には…

1936年の晩秋頃に泥酔してタクシーにはねられ重傷を負い、

1940年5月、三河島の路上で行き倒れになり養育院に収容

されるも、胃癌の治療を拒否し、同年10月12日死去

引用 : Wikipedia

正に破天荒人生、ここに極めり!という感じです(笑)

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日本のゴッホと呼ばれたその作品を紹介!

その作風はポスト印象派の代名詞・ゴッホの作風に

似ていると言われ、日本のゴッホと称されています。

ゴッホ作

そして、活動時期が20年に満たないのに残っている

作品が多くて、速筆だったようです♪

早い時は人作品に1~2時間で描き終えるみたいです!

確かに雰囲気がゴッホの絵に似てますね♪

しかし、やはり独自の世界観を持った作品だな

という印象があります☆

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まとめ

放浪の鬼才・長谷川利行の破天荒人生を覗きましたが、

予想以上に破天荒に生きて、その死に方もなかなかの

モノでした!

そしてのその独特の世界観は、日本のゴッホとも

言えますが、個人的には唯一無二な雰囲気では

ないかと感じました♪

最後までご覧頂き、ありがとうございました!

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