中山道は69次!難所の続く道の最大難所は和田峠!?【所さんお届けモノです!】




2月24日放送のTBS系【所さんお届けモノです!】に、Wエンジンのチャンカワイさんが

中山道の難所・和田峠に挑みます!

東海道と言えば、歌川広重の描いた浮世絵『東海道五十三次』が有名ですが、中山道??

という方は多いと思います(笑)

今回はそんな中山道について紹介したいと思います!

プロフィール?

名前  : 中山道(なかせんどう)

生年月日: 慶長6~13年(1601年~1608年に整備)

全長  : 135里34町余(約526.3km)

経路  : 武蔵~上野~信濃~美濃~近江~京都

比較

中山道は、江戸時代に五街道(東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道)の一つ

として整備をされました。

特に江戸と京都を結ぶ道として、東海道と並ぶ道路として栄えました。

東海道は五十三次で有名なように、53個の宿場があったのに対して中山道は、69個の

宿場があったそうです。

単純に東海道が約488kmなので、中山道の方が38kmほど長いので宿場が増えている

ということも理由ですが、それ以上に山道などの難所が多いため、宿場の間隔が短いという

ことで、東海道よりも16個も多いのです。

こういう風に聞くと、険しい山間部を通るよりも割と平野部を通り距離も短い東海道を皆通る

から、中山道は寂れていたのでは?と考えられますが、意外と中山道も人気でした!

というのも、東海道は交通の便が良いのもあって、悪いことに利用されない様に様々な制限が

ありました。

有名なところでいくと『入鉄炮出女(いりでっぽうとでおんな)』と4河川(安部川、酒匂

川、大井川、興津川)の徒歩のみの川越えです。

入鉄炮出女とは、江戸に鉄砲(武器)を入れる者や江戸から出ていく女、この場合の女は特に

江戸に人質として仕えている大名の妻が江戸から出ていくのを取り締まるものです。

武器が江戸に集められてクーデターが行いようにする防衛の意味と、人質を逃さないために

関所の通過には相応の手形が必要でした。

そしてもう一つの4河川の徒歩による川越えは、こちらも防衛の一つで4河川に橋を架けない

上に、渡し船も禁止しました。簡単な往来が出来ない様にして、行軍されないようにするため

の措置でしたが、一般人にとってみれば大迷惑ですね(笑)

結構大きな川なので、当時の橋梁技術的にも大きな橋を架ける技術がなかったのもあって、橋

を掛けなかったみたいで、そのため川の増水時や状況によってはすぐに川渡りが禁止された様

で、何日も川が渡れず宿で足止めをくって、宿代がかさむということも多かったようです…

また、川を渡る際には補助として『川越人足』とい職業もあって、時期や条件によっては、

そこそこな金額になったみたいで、そういった懐事情の問題もあって、東海道ではなくて

中山道を選ぶという人が多かったみたいです♪

中山道の最大難所はどこ!?

中山道は、群馬から長野の山を越えていくことで峠が沢山あります。

中でも三大難所とされているのが

  1. 木曽のかけはし
  2. 太田の渡し
  3. 碓氷峠です。

昔の言葉で『木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい』というものがあります。

中山道は東海道と違い、自分の力以外のところで足止めされることが少ないので、この三大

難所が無ければ中山道は良いのに、というものです。

一つ目の木曽のかけはしとは、木曽川沿いの断崖に差し込んだ丸太の上に板などをあてて

通り道としたものです。こんな感じでしょうか?

次の太田の渡しとは、陸路が殆どの中で太田川を渡るために船を使わなければいけないので、

本当の意味での難所でないかもしれませんね(笑)

最後の碓氷峠は、群馬と長野の境にある標高960mの峠です。標高や道状態を考えると、

今回、番組でも出ている和田峠の方が難所です。(和田峠は標高1531m)

しかし碓氷峠の位置は、江戸から京都へ向かう道中では最初の山道の難所、逆に京都から

江戸への道中では平野部に出る最後の難所なので、人々の心に残る難所になったのでしょう♪

まとめ

中山道は、陸路中心のため参勤交代の道としても栄えました。

明治以降も保存されたりする部分も多く、現在でも散策コースとして残っている歴史ある道

です。 私も是非いつか、中山道を制覇してみたいものです☆

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする