6月13日放送の【出没!アド街ック天国】の
番組予告に気になるワードがありました!
尾崎豊が初ライブを敢行したライブハウス
尾崎豊さんといえば誰もが知る日本のスター
ミュージシャンですが、そんな彼が初ライブを
行ったライブハウスが新宿にあるとは
知りませんでした♪
そんなライブハウスや、今コロナショックで
ライブハウスが閉店になっている中で、その
ライブハウスが今、どうなっているのか、
調べてみました!
尾崎豊さんのプロフィールと略歴
名前 : 尾崎 豊(おざき ゆたか)
生没年 : 1965年11月29日- 1992年4月25日(享年26歳)
出身地 : 東京都
身長 : 178cm(公式発表による)
血液型 : B型
学歴 : 青山学院高等部中退
職業 : シンガーソングライター
略歴 : 1965年(昭和40年)11月29日、東京都世田谷区の
自衛隊中央病院にて、陸上自衛官の尾崎健一と妻の絹枝の次男として
生まれる。兄弟は5歳年上の兄尾崎康がいる。
兄が購入して使用されていなかったクラシック・ギターをきっかけに
音楽を始め、あらゆるフォークソング、シンガーソングライターの曲に
興味を持っていた尾崎は、特に井上陽水が描き出す詞の世界観に
強く惹かれていた。小学校6年生になると半年に渡り登校拒否を続けており、その間、井上陽水やさだまさし、イルカの曲をギターを弾きながら歌う日々が続いていた[13]。
高校2年生の秋、音楽で生計を立てていくことを決意した尾崎は
CBSソニーが主催した『CBS SONY Sound Development Audition 1982』、
ビクター主催のオーディションにそれぞれ応募し、CBSソニーの
オーディションに合格する。
デビューアルバム『十七歳の地図』は、事務所やレコード会社も
積極的なプロモーションも行わなかったためにセールスは伸び悩む。
その後口コミにより人気が出て、3rdシングル「卒業」の中の過激な
歌詞が話題となり、2ndアルバム『回帰線』は大手音楽チャート1位を
記録、尾崎の名は瞬く間に全国へと広がっていった。
一世を風靡した尾崎は、20歳になり方向性を見失い突然
無期限活動休止を宣言し単身渡米する。
当時曲を生み出せないことに苦悩していた尾崎は、何の収穫もないまま
その年の末に帰国する。
20代になってからの尾崎は、かつての「自由」「反支配」
といったものとは違い、「真実の愛」「贖罪」「罪」といったものを
主題にした歌を多く作っていった。
1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、当時の尾崎の自宅である
マンションから約500m離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に
全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。一度は
一命をとりとめたかと思ったがその後急変し死亡。
後日、雨の降る中4月30日(木)東京都文京区の護国寺にて葬儀・
追悼式が行われ、参列者は4万人近くに上り、規模は美空ひばり、
吉田茂に匹敵するものとなった。
引用:Wikipedia
この曲を知らない人は少ないと思いますね♪
若さの衝動を歌った歌詞が、10代の多感な
時期にとても共感をしました☆
尾崎豊が初ライブをした新宿ルイ―ドはどこにある??
現在、新宿ルイードは『新宿RUIDO K4』という
名前で営業しております♪
そんな『新宿RUIDO K4』の場所がこちら♪
私もバンドマン時代にお世話になったこちらの
ライブハウスですが、Wikipediaによると…
1972年、小澤音楽事務所の社長(当時)・小澤惇が、
事務所に所属するアーティストに歌う場所を提供する目的で、
新宿三丁目に「新宿ルイード」として開業した。
1987年1月20日まで営業を続けたものの、1989年12月に原宿に移り、
原宿RUIDO となった(2007年3月11日まで営業)。
2005年12月17日、新宿歌舞伎町にて、現在の名称で改めて営業を開始。
ロック・ポップス系を中心にインディーズ、メジャーを問わず
様々なバンドが出演している。
とされており、場所を移動したりしているのですね♪
そして、尾崎豊さんのデビューライブを始め、
数々の伝説的バンドとなった方も多数
出演されていたそうです♪
新宿ルイードはコロナショックで閉店寸前!?
現在、コロナウィルスの脅威が薄れてきており
ますが、三密を避けるという誤報を出した都政下で
各ライブハウスが苦境に立たされております。
ライブハウスは、その音量からどうしても換気が
ネックになります。
そのためどうしても、空気が滞ってしまいがちです。
つまり、感染症に対しては弱いのは事実では
ありますが、それは今回のコロナの様に、
空気感染でない場合は、そこまで影響はないでしょう。
そのため、消毒対策などで対応すれば問題ないのですが、
風評被害というか、行政機関の誤った判断により、
ライブハウスが敬遠され、そのためライブハウスは
軒並み閉店へと追いやられているのです…
https://twitter.com/uplink_joji/status/1089864417183854593?s=20
そして新宿ルイ―ド(新宿RUIDO K4)もその
例外ではなく、経営難になっているのは事実
みたいですが、だからこそ新しい形で
ライブハウスの可能性を見出して、由緒ある
ライブハウスが残っていって欲しいものですね☆
まとめ
尾崎豊さんがデビューの際に初ライブを行った
伝説のライブハウス『新宿ルイード』(改め、
『新宿RUIDO K4』)。
数々の有名アーティストを輩出した伝説の
ライブハウスが、コロナショックでその経営が
窮地に追いやられています。
ライブハウス側が対応をすれば、感染は問題ない
ので、今後は継続して欲しいものです☆
最後までご覧頂き、ありがとうございました!