ドクちゃんは結婚して、今は?その波乱万丈な人生【未来世紀ジパング ~沸騰現場の経済学~】




3月6日放送のテレビ東京系の【未来世紀ジパング 】に、ベトナム人の

グエン・ドクさんが独占インタビューで出演されます。

今のベトナムの苦しい現状が番組で放送されますが、その中で結合性

双生児として生まれたその半生の想いを語られます。

今回はそんなグエン・ドクさんを紹介したいと思います!

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プロフィール

名前  : グエン・ドク(Nguyễn Đức・漢字: 阮德)

生年月日: 1981年2月25日(現在38歳)

出身地 : ベトナム

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経歴

枯葉剤散布地域で出生

ベトナム中部高原のコントゥム省で生まれる。この地域はベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域である。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤がまかれた井戸で水を飲んだという。

両親は2人をコントム病院に預けた後に離婚。2人は1歳の時にハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院、Viet Duc Hospital)へ移され、そこからベト(越〈越南、ベトナム〉)、ドク(徳〈徳国、東ドイツ〉)と名づけられた。

本人達への支援

下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。

1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送された。6月19日、東京の病院で手術が行われたものの後遺症が残った。

分離手術

1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院(Bệnh viện Từ Dũ)で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足、ドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。

分離後

分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ボランティア活動も行っている。一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。

2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った、専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエン(Nguyễn Thị Thanh Tuyền)と結婚。このことは日本でも大きく取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取り、夫婦で介護していた。

2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去[1]

2009年10月25日、ドクの妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー(Nguyễn Phú Sĩ)、女児はグエン・アイン・ダオ(Nguyễn Anh Đào)と命名された[1][2]

ドクは来日を重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で被災した障害者たちと交流した[3]。 その後2017年3月には、ベトナムを訪問した今上天皇・皇后と面会している[4]。2017年4月には、広島国際大学の客員教授に就任した[5]

2019年1月6日、ドクはホーチミン市に日本風の飲食店「ドク ニホン (Duc Nihon)」を開業した[6]

引用:Wikipedia

壮絶な半生についての詳細は次へ!!

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